~Shades of Stars~
第6話『On your mark』前編
- ユニゾン
『あ』
慈と梢。ふたりがちょうど鉢合わせたのは、綴理の部屋の前だった。
- 梢
「おはよう、藤島さん」
- 慈
「おはよ、乙宗」
衣替えしたお互いの夏服姿も見慣れつつある頃。支度を済ませて現れた慈が、あくびをかみ殺す。
- 慈
「あんたが来るんだったら、もーちょっと寝てるんだった」
- 梢
「そうね……。今度から、当番を決めようかしら」
- 慈
「いいねそれ。じゃあ月水金が乙宗で、火木が私ね」
- 梢
「さりげなく私の方が多いわね……。別に、いいけれど」
苦笑いする梢。彼女の身だしなみは、朝も早々から完璧だった。
- 梢
「それじゃあ、ええっと……」
ドアの前でもじもじする梢に、慈が腕を組む。
- 慈
「なにしてんの?」
- 梢
「……もし彼女がひとりで起きていたら、お節介で不愉快な気持ちにさせてしまわないかしら」
- 慈
「綴理ちゃんが起きてるわけないじゃん! ほらほらー、朝だぞー」
容赦なく。ガンガンとドアをノックする。しかししばらくしても返事が返ってこない。これはだめだ。慈は懐から1本の鍵を取り出した。
- 慈
「じゃじゃーん」
- 梢
「あなた、合鍵まで……」
- 慈
「勝手に入って起こしていいって許可はもらってるもーん。はーい、お邪魔しまーす」
- 梢
「もう……どっちもどっちね……」
鍵を開けて中に入ると、やはりカーテンはまだ閉まったまま。ベッドには可憐な眠り姫が、枕を抱くようにして目を閉じていた。
ふたりの侵入者は、【静謐】{せいひつ}な朝を木っ端微塵に破壊する。
- 慈
「朝だぞ起きろー!」
- 梢
「夕霧さん、遅刻するわよ」
6月も中旬を過ぎ、撫子祭の準備が順調に進んでいる中、慈と綴理、梢の関係性にまた新たな変化があった。
いちばん大きな変化は、梢の態度が軟化したことだろう。
ここにはかなり紆余曲折があった。まず5月の終わりに中間テストがあり、そこで梢は同級生ふたりが勉強にまったく興味のない問題児であることを知った。
見下げ果てた彼女は、慈と綴理に辛辣な態度を取り……。一時期は険悪なムードに足を突っ込んだ後、それからいろいろあって、ふたりに誕生日を祝ってもらうことになった。
梢は自分の行いを深く深く反省し、そして綴理と慈に対して、これまでよりほんの少し、心を開くことになったのだ。まったく、世話の焼けるやつだ。
- 梢
「ほら、夕霧さん、立って……いいから、目を閉じててもいいから、袖に手を通して」
そしてもうひとつ。今まさにやっていることだが、綴理の朝の面倒を、見ることになった。
クラスが違うから知らなかったが、綴理は遅刻の常習犯だった。
時計に縛られず、なんとなくで普段を過ごしている綴理は、朝もなんとなく起きて、なんとなく学校に来ている。綴理の生きる時間と、世間一般の生活リズムが噛み合っていないのが問題だった。
それだけなら、すべて彼女の責任だと放置することもできたが、問題は直近に迫った撫子祭。
これ以上遅刻すると、単位を取り戻すため、綴理にはどうやら補習授業が発生するらしい。それはつまり、放課後の練習時間が削られるということだ。ぶっちゃけ、綴理はステージ上のパフォーマンスにおいてほぼ完璧なので、それはそれでもよかったのだが……。
当の綴理自身が『ボクは、なにもできないんだ……』と悲しそうにしていたので、見かねた慈と梢が助け船を出した。『それなら、朝起こしに行ってあげようか』と。
最初は、ふたりに迷惑をかけるのは……と渋っていた綴理だったが、『じゃああんたひとりで朝起きれんの?』という慈の情け容赦ない正論によって、撃沈した。
その結果が今、である。
梢が胸のスカーフを結び、慈がブラシで綴理の寝癖を整える。
- 慈
「ね、綴理ちゃん。ヘアワックスつけていい?」
- 綴理
「わっくす?」
- 慈
「これ。ほら、いい香りでしょ」
慈がワックスの蓋を開けて綴理の鼻先に近づけると、彼女の頬がわずかに緩んだ。
- 綴理
「あ……うん。甘いね」
- 慈
「私けっこう気に入っているんだ。こうやってこうやって、毛先をふんわりとさせてあげる」
- 綴理
「かわいい」
- 慈
「でしょでしょ。髪いじるの昔から好きなんだよねー。乙宗も今度やってあげようか? ツインテールとか似合うんじゃない?」
- 梢
「けっこうよ」
慈が綴理の髪を整えている間に、手持ち無沙汰になった梢が鞄の準備を始めた。ずいぶんと軽い鞄には、教科書もノートもほとんど入っていなかった。そんなばかな。
- 梢
「……夕霧さん、あなた学校になにしに行っているの……?」
- 綴理
「行きなさいって言われてるから、行ってるよ」
- 梢
「……勉強もしなさいって私が言ったら、してくれる?」
- 綴理
「がんばる」
慈に髪を好き放題されながらぎゅっと拳を握る綴理に、梢は「まったくもう……」とため息をつく。だがそれは今まで通りの冷たい呆れ顔ではなく、どこか年の離れた妹の面倒を見るような、親愛の情が見え隠れしていた。
少しずつ、3人で過ごす時間が増えてきた。
この日の部室にも、沙知の姿はなかった。
- 慈
「先輩は?」
- 梢
「どうやら、撫子祭の実行委員として、日夜奮闘していらっしゃるみたいね」
- 慈
「へー、大変。さっすが理事長の孫娘」
- 梢
「そこは関係あるのかしら……」
どうかな、と慈は思う。スクールアイドルクラブを大切に思ってくれているのは疑いようないが、沙知はきっと、この学校そのものが好きなのだろう。
蓮ノ空を誇りに思っていて、だからここで過ごすすべての生徒に楽しんでほしいと願っている。
そんなの、たかが高校2年生にしては大仰な考えだが、『理事長の孫娘』という沙知の出自を思えば、まあ、そういうものなのかもしれない。こんな監獄みたいな学校でも、物好きはいるもんだ。
- 慈
「じゃあ、きょうは3人での練習か」
- 梢
「その前に、あなたたちに聞いてほしいものがあるわ」
梢がテーブルの上に、自分のスマホを置く。
最初にピンと来たのは、綴理だった。
- 綴理
「できたの? こず」
- 梢
「ええ」
- 綴理
「すごい。すごいね」
わずかに微笑む綴理に、梢が眉をひそめる。
- 梢
「そういうのはまず、聞いてからにしてほしいのだけれど……」
- 綴理
「楽しみに待ってたんだ。こずの作った、こずの曲。どんなのができあがるんだろうって、毎日、考えてたよ」
- 梢
「あまりハードルをあげないでほしいのだけれど!」
顔を赤らめて悲鳴をあげる梢。
- 梢
「再生するわよ!」
- 綴理
「うんっ」
- 慈
「はーい」
梢が(もたもたとスマホを操作し)曲を流す。
音楽が始まり、梢の歌う仮歌が、部室に響く。
学生にオリジナル曲なんて作れるはずがないと疑っていた慈も、さすがに度肝を抜かれた。
- 慈
「うわ……歌だ……」
- 梢
「……なにそのリアクション」
- 慈
「え、これあんたが作ったの? どこかの作曲家に頼んだんじゃなくて?」
- 梢
「私が部室でギター弾きながら作っているの、あなたも見ていたでしょう……」
- 慈
「まじかー」
並大抵のことはやればできると思っているし、実際そうやって生きてきた慈だが、これに関してだけは、なんというか。
- 慈
「……すごいじゃん、乙宗」
素直に称賛するより他なかった。
- 梢
「え、ええ……」
居心地悪そうに、梢がじとっと慈を見返してくる。
- 梢
「……他になにか、意見はないの?」
- 慈
「はあ!? これ以上私になにを言えって!? 乙宗さん最高ですさすがです参りましたーって土下座すればいいわけー!?」
- 梢
「違うわよ! あなたが素直に一発で認めてくるなんて不気味なのよ! 気に入らないところとか山ほどあるんでしょう!」
- 慈
「ありませんけど!? すごいよ乙宗は! はいはいすごいすごい! ノーベル作曲賞!」
お互い立ち上がって、にらみ合う。
- 綴理
「うん」
目を閉じてしばらく黙っていた綴理が、小さくうなずく。
- 綴理
「これは、ボクたちの曲だ」
慈と梢が見やると、綴理はなにかを確信したような顔をしていた。普段あれほど自信なさそうにしている綴理が。
- 綴理
「こずが、ボクたちのために作ってくれた曲だね」
こいつがそんな殊勝なことをぉ……?と慈はしばらく疑っていたのだが、しかし梢は頬を赤くしながら、仏頂面で口を開いた。
- 梢
「……102期のスクールアイドルクラブとして撫子祭に臨むにあたって、始まりの曲を作ろうと思ったのよ」
慈はぽすんと席に座り直す。茶々も入れず、梢を見上げる。
- 梢
「2か月。あなたたちと一緒にいて、私の気持ちも……変わったわ。今ならようやく、私もこの部でやっていけるかもしれないって、そう思えるようになったの」
- 綴理
「嬉しいな」
綴理が微笑する。慈は『遅っ……』と言いかけた。
- 綴理
「あふれてくるよ、こずの心が。ボクもこの曲を、歌いたい」
- 梢
「……ええ。みんなで歌うために作った曲だもの。もちろん、夕霧さん。あなたにも……歌って、ほしいわ」
……なんか、いい雰囲気じゃない? と慈は思う。
前回のお誕生日会以来、梢は綴理に甘い。むしろ今まで『どうせ嫌われているだろう』と思っていたらしい彼女にとって、もはや厳しくする理由がなくなったと言うべきか。
大げさに肩をすくめた。
- 慈
「誕生日作戦が、まさかここまでうまくいくとはねー」
梢も落ち着いて席に座り、髪を耳にかける。
- 梢
「……そうね。あの一件は、大きかったわね。私は不愛想で、窮屈で……ずっとあなたたちに、嫌われているものだと思っていたから」
なんかそんな風に真面目に答えられると、恥ずかしくなってくるんだけど……。
慈は机をトントンとしてさっさと話を変える。
- 慈
「タイトルは?」
- 梢
「え?」
- 慈
「いやだから、タイトル。この歌のタイトルは?」
梢はそこで初めて気づいたかのように、口元に手を当てて。
- 梢
「……考えていなかったわね」
- 慈
「締まらないなあ」
- 梢
「ぎりぎりまで曲をブラッシュアップしていたんだから、仕方ないでしょう」
- 慈
「じゃあ、私たちでなにか考えとこうか。綴理ちゃん」
- 綴理
「うん」
曲作りはぜんぶ任せちゃったし、それぐらいはやんなきゃね、と。
- 梢
「あとは、振り付けだけれど……。私もある程度は考えたけれど、まだ詳細を詰め切っていないの。夕霧さん、藤島さん、ふたりにも手伝ってもらっていいかしら?」
- 綴理
「うん、ボクにできることなら、任せて」
しっかりとうなずく綴理。いつものように『ボクなんかにできるのかな……?』みたいなことを言うかと思えば、この態度だ。
新曲を前に、よっぽどテンションがあがっているのだろう。……なんか、そういうとこ見ると、綴理も普通の女の子だな、と思う。
- 慈
「オッケー。それなら私も手伝えそう。あとは衣装と、ええと、ステージ?」
- 梢
「衣装はこないだ沙知先輩が用意してくれたものがあるでしょう」
- 慈
「せっかくだから、なんかお揃いの衣装を考えたいんだよねえ。この歌に合わせるなら、もうちょっとラフな方がいいんじゃないかなって」
- 梢
「それは……。でも今からは、大変じゃないかしら……」
- 慈
「デザイン案なら、用意してるよ」
慈は鞄からスケッチブックを取り出した。それをふたりに見せると、今度は梢が驚く番だった。
- 梢
「へえ……。あなた、なかなか絵がうまいのね」
- 慈
「そりゃどうも」
- 梢
「まあ、私は美術の成績も5ですけど、ね」
- 慈
「なんで急に張り合ってくるんだ急に」
だが慈はまだ知らなかった。梢の画力センスは、一般人とはかけ離れたところにあるということを……。
- 慈
「これは曲聞く前に考えてたやつだから、実際作るときには、もうちょっと曲に寄せるよ。3人ともへそ出しパンツルックとか、どう?」
- 梢
「いいけれど……」
梢が不安そうにそっとお腹を押さえる。いやあんた細すぎるから大丈夫に決まってるでしょ、と文句を言いたくなった。この身長差で舞台に立たなきゃいけない私の身にもなってみろ。
- 慈
「じゃあ、被服部の友達に相談してみる。作業はあんたたちにも手伝ってもらうから」
- 梢
「ええ。ステージは……どっちみち、沙知先輩がいなければ、話を進められないわね」
- 慈
「張り切ってたからなー、沙知パイ」
あの人はむしろ、裏方作業ばかりやりたがっていた。慈にはまったく理解できない趣味だと思う。
- 慈
「じゃあ、私は衣装を進めて、乙宗が曲を完成させて、振り付けは基本、綴理ちゃんに考えてもらうでいいかな?」
- 梢
「私は異存ないわ」
- 綴理
「あ……」
流れるように自然に仕事を割り振られた綴理は、一瞬、目を見開いた。
梢と慈を交互に見やり、ぐっと唇に力を籠める。
- 綴理
「ボク、がんばるよ。がんばりたいから」
そして、まるで甘いチョコレートを口にしたように、綴理が微笑んだ。
- 綴理
「これ……楽しいね」
梢と慈が、顔を見合わせた。
どちらからともなく、うなずく。
- 梢
「……そうね」
- 慈
「ま、そうかもね」
撫子祭の開催まであと3週間。
2か月前、絶望とともに蓮ノ空に閉じ込められて、退屈を嘆いていた藤島 慈の姿は、もうどこにもなかった。
トンカン、トンカン。釘を打つ音が響く。
この日は音楽堂にて、4人揃ってステージ作りに勤しんでいるところだった。
- 沙知
「ほおお……。さすが乙宗ちゃんだねぃ……!」
作業しながら梢の曲を聞いていた沙知が、相好を崩す。
- 沙知
「これだけの曲が作れる生徒が入ってきたとなると、蓮ノ空の歴史にまた新たなる伝統の曲が加わっていくこと、間違いなしだよ」
頬にペンキをつけた梢が、恐縮する。
- 梢
「そんな……。そうなってくれたら嬉しいですけれど……私なんて、まだまだです」
- 沙知
「いいんだよ。蓮ノ空の曲はすべて、当時在籍してたスクールアイドルクラブの部員が作ったものさ。それを後の部員が勝手に気に入って、勝手に歌ってるだけなんだから」
- 梢
「ずいぶん乱暴な物言いですね……」
- 沙知
「もちろん、きみがぜったいに残したくないって言うなら、こっそりとリストから削除するのも手だぜ」
- 梢
「それは……。沙知先輩って、ときどき意地悪な言い方をしますよね……」
- 沙知
「きみたちが素直じゃないからだねぃ」
なんか今、いっしょくたにされた気がする。慈は綴理とともに釘を打ちながら、顔をあげる。
- 慈
「私は乙宗よりは素直なつもりですけどー」
- 梢
「私だって、藤島さんよりは素直なつもりです」
- 綴理
「ボクは……。もうちょっと素直になれるように、がんばります……」
- 沙知
「夕霧ちゃんは、素直だねぃ……」
沙知が綴理の肩をポンポンと叩く。
- 慈
「いや綴理ちゃんと比べないでほしいんだけど!」
- 梢
「……相手が悪いわ」
慈と梢は素直に負けを認めた。これでもふたりとも、入部当時よりはずいぶんと素直になったと、その場にいる誰もが口に出さず、感じていたことだった。
梢がふと思い出し、話を変える。
- 梢
「そういえば、沙知先輩。お聞きしたいことがあって」
- 沙知
「なんだぃ?」
- 梢
「先日、新聞部の方からお願いされたんです。撫子祭に掲載する記事を書いてくれませんか、と」
- 沙知
「あー。毎年やってるあれだね。あたしも、去年は先輩たちの記事を書いたんだよねぃ」
なるほど。これも蓮ノ空の『伝統』のひとつ、というわけか。
- 慈
「あ、じゃあ、はいはーい。沙知先輩はどうしてスクールアイドルクラブに入ったんですかー?」
慈が手を挙げると、沙知は遠くを見つめる。
- 沙知
「あれはね、あたしがまだ小学生のとき……」
- 慈
「その話、長くなりそうですか?」
- 沙知
「理事長のおばあちゃんに連れられて遊びに来た撫子祭でスクールアイドルのステージを見て感動したからさ!」
すぐ終わった。
まあ、と梢が嬉しそうな声をあげる。
- 梢
「沙知先輩も、スクールアイドルに憧れた方だったんですね」
- 綴理
「ボクもだよ。ステージを見て、スクールアイドルっていいな、って思ったんだ」
- 沙知
「そうなんだよ……。すばらしいんだ、スクールアイドルは……」
沙知が両手で、それぞれ梢と綴理と握手を交わす。取り残される慈。腕を組む。
……まあ、言ってしまえば慈だって、同級生ふたりのステージを見てスクールアイドルをやろうと決めた人間なので、似たようなものだが。
- 沙知
「と言ってもあたしは、乙宗ちゃんみたいにずっとスクールアイドルになろうと努力していたわけじゃなくて、蓮ノ空に入学してから、なんか面白そうだからってことで、やってみたタイプなんだけどね」
くつくつと沙知が笑う。
- 沙知
「当時、部には先輩が3人いたんだけど、その人たちがまた、無茶苦茶な先輩でね。もう、すごい勧誘だったよ」
知らず知らず、梢も綴理も慈も手を止めて、沙知の話に聞き入っていた。
- 沙知
「あたしがちょっとスクールアイドルに興味のある素振りを見せたのが、運の尽きさ。あの手この手で、あたしを勧誘しようと、朝駆け夜討ち、ときには待ち伏せだってされちゃったねぃ」
- 慈
「沙知先輩が私を誘うときの強引さも、なかなかのものでしたけどねー」
- 沙知
「いやあ、あんなのかわいいもんさ。朝起きたら、寮の廊下に3人の先輩が待ち構えてたときなんて、思わずそのままドア閉めて鍵をかけちゃったよ」
- 梢
「ストーカーですね……」
- 綴理
「すごい。情熱的だ」
- 沙知
「ついにはあたしも根負けさ。実はもともと、人前に立つのがあまり好きじゃなかったんだけど、この先輩たちとなら、楽しい学園生活が送れそうだ、なんて思っちゃってね」
薄々勘づいていたことだが、沙知の口からはっきりと聞いたのは初めてだった。
- 慈
「沙知先輩って、人前がニガテだったんですか?」
- 沙知
「誤解しないでほしいのは、スクールアイドルとしてステージに立つのは好きだよ。だけど、あたしは小学生は児童会長、中学生も生徒会長をやっててね。いっつも壇上でスピーチなんかさせられてたから、そういうのはもういいかなって思っちゃったんだ」
- 慈
「うわ、ぜんぜん知らない人種がいる」
- 沙知
「なははは。中学までのあたしは、ちょーガリ勉だったんだぜぇ?」
笑って、くい、と眼鏡を持ち上げる真似をする沙知。
- 沙知
「でもさ、上に立つ人間っていうのは、大なり小なり人に嫌われてしまうものさ。そのくせ、大して褒められもしないから、嫌になっちゃってね。好きで生徒会長になったくせに、勝手なもんだよねぃ」
肩をすくめて自嘲気味に笑う沙知。
- 沙知
「ま、そんなんでね。高校に入ったばかりのあたしは、人前に立つことがもう嫌になっちまってたのさ。だけど、スクールアイドルクラブは違った。なんというか、すごく自由だったんだ。まるで、ツバサが生えたような気がしたよ」
- 綴理
「……翼が」
綴理はどこか羨ましそうに、そうつぶやいた。
- 沙知
「自由の喜びを知ったあたしは、それ以来、人を楽しませるステージを作ることに、すっかり首ったけだよ。今年はこんなに見どころのある後輩が3人も入ってきてくれて、あたしは幸せ者だねぃ」
慈はわずかに頬を赤くした。
- 慈
「……さんざん問題児扱いされて、先輩を困らせちゃってますけどねー」
- 綴理
「ごめんなさい」
- 梢
「そうよ。せめてテスト勉強はしなさい」
- 慈
「いや乙宗もじゅうぶんこっち側だからね!?」
鼻で笑われた。あんたそういうとこだぞ。
いつものやり取りに、沙知が耐え切れなくなって笑い声をあげた。
- 沙知
「ふふふ、なはははは! いやいや、賑やかでなによりだ。まるで先輩たちのいた頃のスクールアイドルクラブが帰ってきてくれたみたいで、毎日楽しいよ!」
沙知は満面の笑みで、両手を広げる。
- 沙知
「あたしはこのスクールアイドルクラブが好きだ。大好きだとも。撫子祭が終われば夏がやってくる。そしたらすぐに竜胆祭、そしてラブライブ!予選が始まって、年度末には蓮華祭だ! あたしたちには、明るい未来が待っている!」
感極まったように高らかに謳う沙知は、拳を掲げた。
- 沙知
「もう誰も部員が入ってこないのかもしれないと部室でひとり震えていたあたしはいない! この調子で来年も再来年も、そのまた次の年も、楽しんでいこうじゃないか! なーっはっはっは!」
- 慈
「なにひとりで勝手に盛り上がってるんですか……」
来年の話など、まだぜんぜん考えられない。慈なんて2か月前は、自分がスクールアイドルになることも想像できなかったのだ。
慈が呆れてつぶやくと、梢もやれやれと苦笑いを浮かべた。綴理だけはまだ見ぬ未来に、希望を抱き、胸ときめかせているようだった。
ともあれ、今の沙知の話で、じゅうぶんに先輩紹介の記事は書けそうだ。慈は釘と金槌を握る。
- 慈
「さ、休憩終わりっと。テキパキ作業進めていきますよ。もう撫子祭まで、ぜんぜん時間ないんですから」
- 沙知
「お、そうだったねぃ。じゃあ、怪我なく急いで丁寧に、今この瞬間を楽しもうじゃないか」
- 慈
「はいはーい」
4人は再び作業に戻る。ただひとつだけ、慈が付け加えた。
- 慈
「先輩たちのいた頃のスクールアイドルクラブが帰ってきた、じゃなくて」
- 沙知
「ん?」
梢も、綴理も顔を上げて慈を見やる。慈は軍手をつけたままピースした。
- 慈
「私たちと過ごす2年間のほうが、ずっとずっと楽しかったって、そう思い知らせてやりますからね、せーんぱい」
ぐっと息を呑み込んで、沙知が破顔した。
- 沙知
「なーっはっはっは! やれるもんならやってみるんだね! 問題児ども!」
- 沙知
「さ、さあ……次は藤島ちゃんだね……。がんばろうじゃないか……」
だが……。
部員総出でステージ製作に勤しんだ、それから1週間後の放課後。
よろよろと、こちらに手を差し出してくる沙知。
- 慈
「いや、あの……」
いたたまれない。レッスンルームはまるでお通夜みたいな空気だった。
- 綴理
「さち……」
しまった。この雰囲気に当てられて、綴理まで悲しそうな顔をしてしまった。ここは自分がなんとかするしかない。
- 慈
「ちょっと沙知先輩は休んでてください。ていうかなんか明らかにボロボロじゃないですか」
- 沙知
「そうかぃ……? へへへ、あたしは元気だよ……。いぇーい……」
両手に折れ曲がったピースを作り笑う沙知に、梢までも「無理があります……」とつぶやいた。
そう、無理があったのだ、やはり。
撫子祭で披露する曲は、合計5曲。
それぞれのユニットの新しく披露する伝統の曲に加えて、前から練習していた全員で歌うDream Believers、そして梢の作った曲だ。
デビューライブに披露した曲をそれぞれ歌えばよかったのだが、せっかくだからと、3人は新規楽曲に挑戦することにした。各ユニットの先輩たちが作った曲の中から、気に入った曲を選んだのだ。
その時点で沙知の負担は3倍。元々修得していた曲はDream Believersのみ。加えて、沙知は文化祭実行委員として日夜、駆けずり回っている。結果、なにが起きたのかというと。
- 沙知
「あたしだって、楽しみにしてたんだよ……撫子祭ぃ……」
がんばりすぎて、沙知の体力が底をついた。どうやら沙知も、人間だったようだ。
- 慈
「楽しみだったのはそりゃわかりますけど! 楽しみだったからそんなんになってるんじゃないですか!」
梢も、うなだれる。
- 梢
「すみません……。私がもっと早く、曲を作れていれば……」
- 慈
「あんたまでそっちに流されるんじゃないよ!」
ひとり抵抗する慈は、なるべく明るい声をあげる。
- 慈
「とりあえず先輩は隅っこで休んでてください! もう若くないんですから!」
- 沙知
「ひどいねぃ……」
綴理に手を引かれ、レッスンルームの端っこへと連行されてゆく沙知。
- 慈
「これじゃ、きょうのユニット練習はムリかな……」
梢が深刻そうな顔で黙る。どうせろくでもないことを考えているのだろうと思うと。
- 梢
「……やっぱり、撫子祭でやる曲は、4曲にしましょう。私の曲は、いつでも披露できるもの」
- 慈
「いやいや」
案の定だ。慈が待ったをかける。
- 慈
「それはもったいなくない? もう完成してるのに。乙宗だって、あんなにがんばって曲作ってたじゃん」
- 梢
「といっても、これ以上沙知先輩に無理をさせるのは……」
梢がちらりと視線を送ると、横になったまま沙知が儚く微笑んだ。
- 沙知
「あたしなら、大丈夫だよ……。せっかく乙宗ちゃんが作ってくれた曲なんだ……。ちゃんと5曲やりきろうねぃ……」
ね、という顔で梢が同意を求めてくる。
確かに、最低限の人の心があれば、沙知に『じゃあ練習がんばりましょうね!』とは言えない。梢の立場なら、なおさら心苦しいだろう。
- 沙知
「へへ……。なんだったら、実行委員の仕事を少し減らしてもらえるように、お願いしてくるから……」
だから代わりに、慈が言ってやった。
- 慈
「だからぁ! それだと沙知先輩の負担を、誰かが肩代わりすることになっちゃうでしょ!? みんなに文化祭を楽しんでもらいたいっていう沙知先輩の願いが、叶わないじゃん!」
声を荒げた慈に驚く沙知。
- 沙知
「願いだなんて、そんな、大げさな……」
- 慈
「どんなに小さくっても、願いは願い! やりたいことはぜんぶやれ!」
- 沙知
「藤島ちゃん、きみは……」
沙知は驚いたように、瞬きを繰り返す。
- 沙知
「そんなに、あたしのことを想ってくれてたのかぃ……!?」
- 慈
「いやそれは別にどうでも」
- 沙知
「急にトーンダウンするねぃ!?」
慈はふんぞり返って腕組みをする。
- 慈
「私のモットーなんですよ。やりたいことはぜんぶやったほうが楽しいじゃないですか。ガマンするのは、よくないです」
一同が、慈に視線を向ける。
- 慈
「幼馴染みがいるんです、私。一緒に『世界中を夢中にしよう』って誓って、今は武者修行でカリフォルニアに行ってるんですけど」
- 沙知
「とんでもない行動力だねぃ……」
- 梢
「藤島さんの幼馴染み……。なるほどね」
なにを納得したのかは知らないが、まあいい。
- 慈
「その子はあんまりにも優しいから、いっつも他人の楽しみばっかり優先しちゃうんですよ。理不尽じゃないですか、優しい人が損する世界とか。だからもう私、ムカついて、みんながその子に優しくなるように世界征服しようって決めたんですけど」
- 沙知
「なんかすごいこと言ってないかぃ?」
- 梢
「重いわね……」
さっきから一言多いやつがいるな? まあいいけど。
- 慈
「なんで、そーゆーの私にとって、地雷なんです。別に沙知先輩のことを想ってるわけじゃぜんぜんないので」
- 沙知
「改めて言う必要あったかぃ?」
- 梢
「……でも、現実にどうするつもり? 今だって、少しでも沙知先輩の負担を軽くするために、私たちで部長業務を分担して引き受けているのに」
- 慈
「カンタンじゃん。沙知先輩にこれ以上、曲を詰め込むのがムリって話だったら」
慈は宣言した。
- 慈
「乙宗の曲は、私たち3人でやればいいんだよ」
一拍置いて。
- ユニゾン
「えー!?」
という悲鳴が、部室に響き渡ったのだった。
しかしそれは。
慈の思っている以上に、簡単な道のりではなかった。